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日熊行燈

枕元にカステラを置いて寝ています

理論ではない、俺だけの愛すべき死んだポエム1

「もういい加減擦られきったことについて言及するのはやめないか」、

彼はこう考えていたのだ、人間は言葉を使ってありきたりの感情を表現し、その時代の論理で物事を構築していく。現状の利益について打算し、相手の心を扇動するように共感をしていく。既に可能なことをいくらしても、それは人間が生まれたときからできると決まっていたことをいつまでもやっているだけで、存在が「ここ」から抜け出せないということに。

ただありえたことと、ありえるべきことと、言葉で表せないものだけが牢獄としてそこにある。

「そこから逃げ出したい」というのは理想主義者だからだし、「困難に立ち向かう」という人間はヤク中だ。ドラッグに慣れ、もはや少量の薬では何も感じない人間。

シュールレアリストは糞だ。反抗、意味の外に挑戦しようとした偉大な人間たち。大義を抱えながら内輪で批判大会を繰り広げる、つまらない人間のお手本のような人たち、見限られるために存在した集団。社会錯誤とはあれだ。俺には何も信念がない。

死者の王たち。インカ帝国で、死後も領土と名声を保ち続けた存在。無であるのに、ただの概念として、なんの役にも立たないにもかかわらず、人々の思考に存在し続けた非存在。存在しないが、存在する者。無限に否定され続ける矛盾が生きて亡霊となり、世を踏みしめた。

ひとつのバラが赤い時、そのバラは青い。これは同時に存在する。現実世界に存在するか、可能世界に存在するか、そんなことはどうでもいい、「どちらも存在する」。

嘘などない、事実がいくつもあるだけだ。それを我々は口に出す。信念や観点は支えで、包囲磁針として用いる。船がどちらに進んでいるのか忘れないために。

『ペドロ・パラモ』という物語。地中に埋まる死者の記憶の中で、死人が街にはびこり、一度失ったものを再び失う物語。彼らは実際に行為するが、何重もの死・それがないということによって行動可能性の土台から否定され、再び甦る。

一つの物事があるということと同時に矛盾する物事がある。これは現実ではありえないが、感情、内的世界ではよくあることだ。1人の人間のある部分に対してそれを好ましく思い、同時に不愉快に思うこと。

死者の王、あなたはシュルレアリスムのはるか先を言っている。存在し、存在しない。これは「無」と「無意味」という概念ではない。概念としてなりたたない何か。存在の洞。

 

※これは『ペドロ・パラモ』に沿った概念なので、死者が可能世界で存在し得るということはなく、もっと儚いというか、存在し、存在しない何か、何かですらないもの、という前提で書いています。それはごめんな。