日熊行燈

枕元にカステラを置いて寝ています

今俺は

俺は今ここにいなくなった人々に話しかけている。


ここ二日、人と話す生活を送った。

その次の朝は寂しくなるものだ。場所を埋めるものがない。やることはあり、赤い表紙の厚い本も、少子化論という本も持っているのだが。


今俺は喫茶店で7mmのタバコを吸っている。


足りないものは、あったことがあるのだろうか。足りないとは思っていない。もうそういうのはなんとかしてきた。

あんた方、あの時のあなた達がいないと思っているのなら、俺は回想しているだけだ。回想している隣に中年の終わりに差し掛かった人間が世の話を強い語気で語る。俺もそれであったりするし、なかったりする。

ひたすら不快だ。


回想というものがあるならひたすら失い続けることになる。

今?行動することができる。どうやって?アクションを起こす度に、あんた方に会いたくなる。


全ての人が抱えているはずの無。全ての人が抱えていると証明できないのは、それは秘密裏に開示しあうものだからだ。弱さとか、暗さではないルール。


俺は昭和に流行ったフュージョンに曲を変えた。


俺は自分以外の何かになりたいとも思っていないし、自分が自分でないとも思っていない。少なくとも強くは。絶望はしていないわけだ。


歳をとったのか。いつでもあの時代のあんた方に会いたいと思っている。俺の中のあんた方に。未来を向くというのは責任を引き受けるということだ。だから今ここに音楽があり、煙を吐き出す。現在が埋まり続ければいい。それは夢だ。


俺は夢が見たいんじゃない。ただ飽きた。自分の出来ることと、でき得ること。そして失望することに。


現でない一幕として書くことをしている。人には二種類いる、ガードを固めて立っているやつと、遠くを向いてスタミナをためて歩いているやつだ。景色の先に歩いていけば、現在が埋まればよかったのに。


信仰の話をしている。意味の話ではない。ここが埋まることの話だ。エンジンの話ではない。信仰か亡霊か。


俺は書くのをやめたくない。何も思わなくなってきた感じがする。失望しているのか、否か。

そんなことは自分では気づけない。同じものを底にしまい込んだ人間がいるなら、そいつといたい。その感情と共にいたい。

意味が必要なら死んだも同然かもしれない。働く機械、棒となる。

人はパーツになるから棒となるのではない、意味を求めなければならなくなった時点で棒になるのだ。

理屈ではなく、魂で。