日熊行燈

枕元にカステラを置いて寝ています

実存(現状)

愛に夢を見ないほうがいい。

作家にも。

作家はみな、愛で自分の弱さを隠そうとする。セックスや(ウエルベックのように)、男らしさと酒を使って(ヘミングウェイのように)。

作家が執着する価値観、この世を判断するための錨を振り回しているのを見て思うのは、彼らが怯えているのはこの世の不確かさそのものだということだ。

作家が男らしくないものを批判するとき、男らしいものをいいとするその思いこみそのものがこの世への愛であり意味である。しかし彼らは思いこむことで世界に確信を持とうとしている、弱って腐りかけているもののように感じる。

 

思い込むということはストレスのたまる宗教だ。何かを基準として持つということは、その基準が守られなかった場合傷つくということだ。そうして傷つけば傷つくほど、人間は心のブレーキがなくなっていく。

 

生きる意味と死ぬ理由が欲しい。この世への狂信以外で俺の持つものは、象徴・文脈・感情。それは何の錨にもならず、ただ振えるだけの波だ。

解き放たれて自分を波に乗せていったとき、発狂以外の何が待っているというのか。この世を見限るか、信じるかしたい。

 

意味の問題なのだ。意味なしでは耐えられなくなっていく。ただ、意味を思い込むということを自分で認識できてしまう。この文章がナルシスティックな「しがみつき」であることを自分でわかっているように。

愛とはそういうことなのだろうか。意味であることしか残念ながらわからない。

人と同じでなかったものがあることがとても悲しい。

 

生産することが祈りであるとする。前に進むことが祈りであるとする。

祈りなら?

意味や、確信や、ドグマがなくとも、祈ることで近づけるなら?